新たな大地創世計画(前編)
米斗がアルフィンから出て、5日が経った。
彼はその1週間で、2日で涼歌のいる三条宮へと戻り、2日間そこで過ごした。
もう時間がないのが分かっていても、彼には彼女のお願いを断ることができなかった。
そして彼は、それを果たすために2日間三条宮で用事を果たしたのであった。
用事が終わり、米斗は新たな大地創世の計画が練られているというクローレンへ向かおうとした。
――米斗は涼歌と一緒に、クローレンにいつ向かおうかと迷っていた。
彼は何気なく、居間の開いている窓を眺めた。
すると、その遠くから地面が崩れる音がした。
「思ったのだが、最近フォーレン付近での崩落が激しいようだ・・・」
居間を横切ろうとしていた時に米斗のつぶやきを耳にした涼歌は、首を傾げた。
「・・・そうかな?」
「住民からも、街道の脇が徐々に崩落しているというのも聞いたよ」
彼によれば、ここ5日間で八箇所の崩落の情報が寄せられたらしい。
「うーん・・・。だとしたら・・・」
彼女はそう言って、近くの本棚の本を探った。
そして、彼女が取り出したのは・・・?
「……『大地修復』?」
本のタイトルを見た二人には、内容もサッパリだった。
彼女が適当にページを開くと、そこを読み上げた。
「『塔の動力が及ばなくなった時、動力の供給を必要としないセクタは切り捨てられる』……」
「それって・・・?」
「わたしにも分からないわ。でも、フォーレンが他の場所よりも早く、完全に崩落するのは間違いないと思う」
涼歌の意見を聞いた米斗は、落胆した。
「それは、大変だな・・・」
涼歌も自分の言ったことを理解して、すぐに対策を取ろうと米斗に進言した。
彼は彼女に賛同して、すぐに対策を取り始めた。
――三条宮の侍女たちの助けを借り、フォーレンに残っている住民にも意見を聞いた。
侍女たちもフォーレンの住民たちも、二人の指揮の頼もしさを信頼して、素直に従ってくれたという。
涼歌と米斗が考えたのは、一時的な対策であった。
でも、真の大地さえ創世できれば、皆を安心させて暮らせる。
そう思えば、皆も信じて二人についてきてくれた。
ちなみに、対策とは言っても、実に簡単なものである。
フォーレンに住む人たちを、全員ベアルトリスへ移送するというものであった。
しかし、何故こうも簡単に事がうまく運べたのか・・・?
それは、偶然なものであった。
***
――それは、偶然フォーレンに理子と瑞穂が訪れたことが、全ての始まりだった。
「ずいぶんと寂れてしまったわね・・・」
フォーレンの町を見て、理子はそう言った。
「そうですね。二条宮は騒動が小さかったようですが、この様子だとここは・・・」
「そうね……。涼歌なら、今起きていることが自分の所為だとを自身を責めるかもしれないわ」
涼歌はまだ必要だ、と理子は思っていた。
理子は色々な事態を予見しつつ、涼歌の心配をしながら、瑞穂と共に急いで三条宮へと向かうことにした。
静かな町を走り、三条宮へ向かった理子と瑞穂。
三条宮では、何やら忙しそうにしていた。
「ここも、暴動は解決したのかしら?」
きっと、その後処理よね・・・?
理子はそう思って、忙しそうに何かをしている侍女の一人に話しかけた。
「ちょっと、いいかしら?」
「あ、はい! 何でしょうか?」
理子は、何をしているのかを訊いた。
侍女はこう言った。
「フォーレン付近の大地の崩落の対策を打っているのです。今から、その準備をしているのです」
『大地の崩落』という言葉を聞いた理子は、驚愕した。
大地の崩落は、最近になって各所で起きていることであった。
理子と瑞穂はそれによる被害を調査するために、各地方へと赴いている最中であった。
「そんな・・・、急がなければ・・・!」
理子はそう言うと侍女に一礼をし、中に入っていった。
「りこさま、待ってくださーい!」
瑞穂も、急いで後を追った。
三条宮の執務室の扉がおもいっきり開いた。
「り、理子様!?」
「理子様!」
突然の来訪に、米斗と涼歌は驚いた。
「大地の崩落が始まっているって、都にいた侍女に聞いたわよ!」
米斗と涼歌はそれに頷き、とりあえず理子を落ち着かせてから、応接の区画に着かせた。
その後、米斗はこう言った。
「確かに、大地の崩落という現象は起きているようです。実際には調べていませんが、一部の住宅区域では崩落寸前のようですね・・・」
「それなら、急いで真の大地を・・・!」
理子が先走ろうとするのを涼歌が止めて、話が続けられた。
「・・・それよりか、今は住民の避難を優先させたいのです」
そう言った米斗は、理子を見てあることを思いついた。
「ちょうどよかった! 涼歌、理子様に頼んでみないか?」
突然の話に涼歌は少々慌てるそぶりを見せたが、すぐに彼の言っていることを理解した。
「そうですね。あそこなら、避難場所に最適かもしれませんね」
「よし。そうと決まれば・・・!」
米斗と涼歌は、新たな避難場所としてベアトリーチェを候補として挙げた。
勝手に話が進んでいく二人を目の前にしている、理子と瑞穂。
「新たな避難場所の候補がベアトリーチェって・・・?」
米斗と涼歌だけで勝手に進んでいく話に、理子と瑞穂は全くついていけれていなかった。
「ちょっと、待ちなさい!」
理子は、テーブルをバンッ!と思いっきり叩いて二人を止めた。
「あなたたち。避難ってどういうことなのよ? 大地の崩落は放置するのかしら?」
その問いに対して、涼歌はこう答えた。
「大地の崩落から民を守るには、どこか別の地へと避難する以外ないと判断させていただきました。」
それに続いて、米斗はこう言った。
「大地の崩落はここフォーレンで著しく発生しており、この地方を保持することは難しいと判断して、俺と涼歌でフォーレンを放棄するという結論に達した所存です」
理子は、米斗の話を聞いてフォーレンでの調査の猶予がないと判断した。
「・・・避難はいいんだけど、その先のことは考えている?」
米斗と涼歌は、顔を見合わせた。
「大丈夫ですよ、理子様が住民を引き受けてくださるのでしたら」
「ここ以外の大丈夫そうな場所として、クローレンやフォートレスを考えていたのですが、崩落の恐れのない場所はベアトリーチェしかありません」
「そうなのね……」
米斗と涼歌の話を聞いた理子は、考えた末にある結論に至った。
「……分かったわ。避難民の受け入れに関しては、お父様と考えるわ」
「ありがとうございます、理子様!」
涼歌はそう言って自身の両手で米斗の両手を握り、歓喜を表現した。
「ああ、これでもう大丈夫だな!」
米斗も涼歌と同じように喜んだ。
そんな二人に、理子はこう言った。
「あなたたちに協力するわ。ただし、条件が一つだけあるわね」
「あ、はい。何でしょうか?」
心配そうにする米斗と涼歌であったが、特に大したことではなかった。
「わたしと瑞穂も手伝うわよ。その方が早く避難も終わらせられるし、わたしがベアトリーチェで引き取ると決めたのなら責任を持って送りださないといけないしね」
「あ、はい、ありがとうございます!」
こうして、米斗,涼歌,理子,瑞穂の4人はフォーレンの住民の誘導を行った。
そして、避難の誘導を終えた理子と瑞穂はすぐにベアトリーチェに戻って、フォーレンの住民を受け入れる体制を作ったのであった。
***
無事に、フォーレンの避難民の受け入れが終わった。
一条宮で、米斗と涼歌は少し落ち着くことができた。
「……ようやく、終わったな」
「ええ。大変でしたけど、理子様が来て下さらなかったら、もっと時間が掛かっていたと思います・・・」
涼歌の言葉に、米斗はそうだな、と頷いた。
「そうだね。理子様が来なかったら、話をつけている間にもっと被害が出ていたかもしれない。そう考えると、怖くなってくる・・・」
「うん・・・」
米斗の言葉に頷いた涼歌は、手に持ったお茶を一口飲んだ。
和んでいる二人の所に、理子がやってきた。
「ちょっと、いいかしら?」
「・・・何でしょうか?」
何か問題があったのかと驚いた米斗と涼歌は、顔を見合わせた。
「いえ、別にベアトリーチェで何かあったわけではないわよ」
「・・・それなら、一体どうしたというのですか?」
米斗がそう訊ねると、理子がこう答えた。
「今、優花と科鈴が『新たな大地創世計画』を立てている最中よ」
瑞穂が、こう続いた。
「それで、優花様は9人の御子全員をクローレンへの召集を呼びかけているのよ」
「新たな、大地創世計画・・・?」
米斗と涼歌はお互いの顔を見合わせた。
そして、涼歌がこう切り出した。
「あの失敗した計画とは違う、別の計画があるのですか?」
しかし、それは理子にも瑞穂にも分からなかった。
「ごめんなさい。それは、クローレンに行ってみないと分からないわ」
「そうですか……」
涼歌は、頭を抱えて考え込んだ。
その間、理子は米斗にクローレンへの同行を求めた。
「米斗。涼歌がどうであれ、あなたはわたしとまだ一緒にいてもらうわよ」
そう言うと、彼女は米斗の手を取ろうとした。
しかし、彼はそれを撥ね退けた。
「な、何なの!?」
理子は、米斗が自分の手を退いたことに驚いた。
「あなたも、クローレンに行かなければならないのよ。それなのに、何故・・・?」
唖然としている彼女に、米斗はこう答えた。
「俺、決めたんです。涼歌となら、どんなことだって乗り越えられるって」
米斗の言葉に、理子は激怒した。
「あなたっていう人は! ……調子に乗りすぎね」
そう怒りを吐き捨て、理子はそのまま立ち去ってしまった。
彼女が立ち去っていってしまった時、彼女は泣いているように見えた。
しかし、それが本当なのかは、本人にも分からなかった。
そして、取り残された瑞穂も彼女の後を急いで追った。
理子と瑞穂がいなくなったことに気付いた涼歌は、部屋を出ようとした米斗に何かあったのかを訊こうとした。
しかし、米斗は何も話さないまま、後ろにあった椅子に座った。
「・・・話してください」
「……」
米斗は、一向に何も話そうとはしなかった。
そんな彼の姿を見て、涼歌はどうすればいいのかがすぐに分かった。
「・・・わたしのことは大丈夫です。だから、理子様のお願いを受けてあげてください」
そう言って、彼女も何も話さないまま、そのまま5分が経った。
そして、米斗の口が開いた。
「俺は、何を勘違いしていたんだろうな……」
「・・・?」
思っていることでも、間違えたのか・・・?
涼歌は、米斗が言った言葉がどういうことなのかが分からなかった。
「・・・先に、行っている」
米斗はそう言って、すぐに部屋を飛び出して行った。
「え、ちょっと・・・!?」
涼歌がそう言って振り向いた時には、既に彼の姿はなかった。
それでも彼女は、いなくなった彼の跡をただただ黙って見ていた。
「(そうよ・・・。彼は理子様の剣(つるぎ)だものね・・・)」
自分の立場と米斗とは、大きく差があり過ぎた。
彼女は今、米斗と距離を置くことを決めた。
そうしなければ、自身の立場と米斗の立場が分からなくなってしまう。
いくら、自分と彼がいいとは思っていても、周りがそうは思っていない。
だから、立場が違っても、わたしや彼が何も変わらずにいられるまで、これ以上一緒にいるのはやめよう。
涼歌はそう決心し、一人取り残された三条宮で、最後の仕事を終わらせた。
***
理子からクローレンへの同行を任ぜられた米斗は、先を行く理子と瑞穂に追いついた。
「待ってください。俺も行きます」
一度は断ったのに今度は追いかけてきたことが、理子には驚きであった。
「どうしたのよ、一体?」
彼は、自分の意思で理子に同行することを伝えた。
それを聞いた理子は、心の中では半分嬉しかった。
しかし、彼が涼歌を置いてくるほど自分に何かがあるのか、と心配にもなった。
「涼歌は・・・、涼歌はどうしたのよ?」
涼歌のことになると全く意思を曲げなかった米斗が、突然自分の元にやってきた。
――もしかしたら、彼は……?
自分と涼歌を比べた結果が今を招いたんだと、理子は勝手に思い込んでいた。
皮肉にも、その思い込みは現実のものとなった。
「……俺、自分の使命を忘れていました。涼歌を護ることもそうだと思っているけど、俺は理子様を護る義務がある以上、俺は使命を優先することにしました」
その言葉に、何故か瑞穂が黙ってはいなかった。
「ちょっと待ってよ! それならあんたは、どうしてずっと涼歌様と一緒にいたわけ? それは、あんたの本心・・・というか、本命だからなんでしょ?」
「そう・・・だったな。でも、今は……」
家から与えられた使命すらまともに果たせないのに、自分が守れるものなんて何もない。
瑞穂の言った通り、今になって使命を果たそうだなんて、確かに都合のいい話だ。
そこには何か思惑があるのではないのか、と理子と瑞穂は米斗を疑った。
理子は、米斗にこう訊ねた。
「・・・本当に、いいのですね?」
米斗は、頷いた。
「はい。構いません」
今は、自分の使命を見直す時だ。
何の思惑のない米斗は、ただひたすらにそれを全うするだけであった。
「……それでは、クローレンへ急いで向かいましょう。世界が滅びる前に、真の大陸を創世するために」
そして、米斗を加えて3人となった一行は、クローレンへと無事にたどり着いたのであった。
しかし、米斗の『使命を果たすため』という理由に対して、瑞穂は米斗に不信感を拭うことはできなかった。
***
クローレンには、新たな世界創世計画の報を聞いて駆けつけてきた多くの外部の人々がいた。
御子はもちろん、あらゆる知識を持った者や調査隊、はたまた、優花が誘致したと思われる技術者までもが集まっていた。
どうやら、あの騒動からすぐに準備を着々と始めていたようだ。
理子は米斗と瑞穂を引き連れて、大図書館にいる優花を訪ねた。
「案外、用意周到なことね?」
新たな世界創世計画についての文献を漁っていた優花に、理子はそう言った。
「ええ。今度は、確実なものにしたいのでね」
「そうね。今度こそ失敗したら、この世界は滅びるものね・・・」
理子は優花に、自分たちに手伝えることがないのかを訊いた。
しかし、優花からは、今のところは何もないと言われた。
それに、全員の御子がまだ集まっていないそうだ。
「そう・・・。困ったわね・・・」
集合の都度を伝えただけで、いつまでに集まるかは全く決まっていなかった。
だからなのか、理子達3人を除けば、残りの御子はまだ誰もやってきていなかった。
御子が全員集まるまで計画を話さないということなので、理子達3人は暇だった。
そこで、瑞穂が理子にこう提案した。
「りこさま、クローレンの散策でもいかがでしょう?」
「そうね・・・」
理子には、これといった暇つぶしは思いつかなかった。
なので、理子は米斗と瑞穂と共にクローレンを見てまわることにした。
しかし、瑞穂は理子の思惑とは違うことを言い出した。
「りこさまは、お一人でお願いします」
「どうしてなの?」
瑞穂は、どうしても米斗に訊きたいことがあった。
そして、それは理子には聞かれたくないことでもあった。
「どうしても、です!」
瑞穂はそう言って、理子の背を強引に押した。
背中を押された理子は困りながらも、仕方なくそのまま去ることにした。
「わ、分かったから、押すのはやめなさいって!」
理子は瑞穂を振り払って、米斗の横を通って去っていった。
理子が近くにいなくなったのを確認した瑞穂は、米斗を強引に校舎の脇に引っ張った。
「お、おい・・・?」
「いいから、とにかくこっちに来て!」
そう言って瑞穂は、今度は広い道へと米斗を引っ張っていった。
彼は何も分からないまま、ただただ瑞穂に連れ回されるだけであった。
そして、数々の場所に何故か連れ回された挙句にたどり着いた場所は、学士が多く行き来している購買エリアだった。
「何だよ! お前は何がしたいんだ?」
いい加減、米斗は憤りを感じていた。
腕を掴まれている瑞穂の手を振りほどくと、溜め込んでいた怒りをぶちまけた。
「そういえば、どうして理子様を一人で行かせたんだ?」
瑞穂は、米斗に背を向けて彼の問いに答えた。
「ん? 一度、米斗と二人っきりで話してみたかったんだよね」
「・・・それだけなのかよ?」
瑞穂は笑顔で「そうだよ」と、米斗がいる方向に振り向いて言った。
彼女の顔を見た米斗は呆れて、何かを言う気力を失った。
「……分かった。そんなに話したいのなら、勝手にどうぞ」
彼はそう言って、近くにあったベンチに座った。
すると、瑞穂は近くの売店に立ち寄った。
そこで彼女はホットドックを2つ買い、1つをベンチに座っている米斗に渡した。
「・・・とりあえず、お腹空いたでしょ?」
「あ、ああ……」
米斗は、瑞穂からホットドックを受け取った。
***
ホットドックを食べ終わって、すぐに瑞穂から話が始まった。
彼女は、理子のことについて話を始めた。
「・・・あのさ、どうして急にりこさまを護ろうなんて思ったわけ?」
瑞穂の問いに、米斗はこう答えた。
「言っただろ、俺は自分の使命を忘れていたって……」
彼の言葉には、一切の迷いが無かった。
しかし、その言葉に瑞穂は納得できなかった。
「今更、使命に殉じようとしているの? バカじゃないの?」
瑞穂は、こう続けた。
「ふざけているわ! つい最近までは、涼歌様のことが好きだとアピールしているみたいにずっと付きっきりじゃなかったっけ?」
「そ、それはだな・・・!」
米斗が何かを言い返す前に、瑞穂は畳み掛けるかのように言い続けた。
「途中で、使命とやらをほっぽりだして言えるセリフなの?」
瑞穂は立って、座っていたベンチから少し離れた。
そして、彼女からの“猛攻撃”ならぬ“猛口撃”は続いた。
――初めて出会った時から、あんたのことなんかこれっぽっちも信用しなかったわよ!
――あんたがりこさまのことを忘れて涼歌様のところに行ったのは、皇太子が乱を起こしてわたしたちがバラバラになってからでしょ?
――その後からなんか、ずーーーっとりこさまのことをほっぽりだして、かよわそーな涼歌様にうつつをぬかしちゃってさ・・・。
――だから……、だからね……。
瑞穂は言葉に感情が入るほど、徐々に泣きが入った。
そして、最終的には、その場で泣き崩れてしまった。
「ううぇえええーーーん・・・・・・!」
「お、おい・・・っ!」
米斗はそう言って、すぐに瑞穂の元に駆けつけて手を差し伸べたが、彼女は彼の手を払った。
「なんだよ!」
「なんだよ、じゃないわよっ!」
そう言った瑞穂は、突然米斗の胸に飛び込んできた。
突然のことに、米斗は動揺した。
しかも、彼は瑞穂が女ではないこと知っていたので、尋常ではないほどに驚いていた。
「ちょっ、お前・・・!」
米斗がそう言いきる前に、瑞穂は彼の口を手で塞いだ。
「黙っててよ。今は……、このままでいさせてよね……」
「……」
米斗は何かを言い返そうとしたが、邪魔をするべきではないと悟った。
彼はそのまま瑞穂に胸を貸し、彼女の頭をそっと撫で続けた。
彼女は誰にも自分の泣き顔を見られないように、米斗の胸に顔をうずめた。
「うわあああん……、……ぁぁん……」
その後も瑞穂はしばらく泣き続けた。
そして、米斗は彼女が泣き止むまで、その場で立ったままの姿勢で彼女の頭を撫で続けたのであった・・・。
***
瑞穂が泣き止んで落ち着くと、米斗は瑞穂をベンチに座らせて、辺りを見回した。
・・・今更だが、瑞穂が泣いている間は、いつも学士で賑やかな場所である購買エリアにいた人々には迷惑をかけていたのではないだろうか。
米斗はそう思いながら心配していたが、辺りはシーンとしていた。
本来ならば、「あいつ、女の子を泣かせているぞ!」とか「何なの、あの男。女の子を泣かせるなんてサイテーよね」とかの声が周りから聞こえてきそうなものなのだが、
何故かそういった事態にもならなかった上に、人気(ひとけ)も無くなっていた。
もしかしたら、周りが気を遣ったからのかもしれないだけの話なのかもしれない・・・。
そんなのはあり得ないだろうけど、『無きにしも非ず』ということもあるのだから・・・。
――それはさておき、ベンチに座った米斗は、使命を自分の都合よく利用したことに反省した。
「……すまなかった。俺は、お前を泣かせるつもりで理子様をまた護ろうだなんて思っていなかった」
それに対して、瑞穂は俯いたままこう答えた。
「そんなの、当たり前だよ。問題なのは、米斗が使命よりも一人の女の子のために献身し続けたことなんだよ?」
「ああ、そうだな……」
米斗は、涼歌と一緒にいた理由を考えた。
彼女には何かあったわけでもなかったが、ずっと一人だった彼女をどうしても助けてあげたかった・・・。
だから俺は、一緒に彼女の全てを解決しようと決めたんだ。
彼はそれらを瑞穂に打ち明けて、こう続けた。
「……だから、理子様を護るという使命を蔑(ないがし)ろにしてしまったのはすまなかった。でも、俺は……」
米斗は、何故か声を詰まらせた。
「俺は……、俺は……」
何度言い返しても、何故か声が詰まってしまった。
「『俺は……』? 一体、何なのよ?」
珍しくしっかりとしなかった彼に、瑞穂は異変を感じた。
米斗は言葉を詰まらせると、目を開いたままその場で頭を抱え込んでしまった。
「・・・どうしたの!?」
彼女が米斗の顔を覗くと、先の表情のまま固まっていた。
「米斗……」
彼の表情を伺った瑞穂は、すぐに自分の言ったことを謝った。
「ごめん! だから、もう考え込まなくてもいいよ!」
彼女は、手を合わせてお願いをし続けた。
それに対して、米斗はこう言った。
「……違うんだ。そういうことじゃないんだ……!」
彼は、自分のやっていることと自分の本当の気持ちに違いがあることに気づいた。
いや、本当は涼歌と離れた時からそれが分かっていたのだ。
そんな中で、米斗は瑞穂に一つの問いを投げかけた。
「……俺は、使命と涼歌のどっちを取ればいいんだ?」
・・・そんなことは本来、本人が決めることである。
それ以前に、彼の問いに答えなど存在しなかった。
「・・・それを、わたしが決めてもいいの?」
自身には決められるものではないな、と理解した瑞穂は、米斗に確認をした。
すると、米斗は瑞穂に委ねると言い出した。
しかし、それはあってはならないことであった。
米斗の意思を聞いた瑞穂は、怒りを感じた。
「バッカじゃないの!」
瑞穂は彼の頬におもいっきりビンタを一発当てて、こう続けた。
「ふざけないでよね! 米斗が決めなければならないことに、わたしが決めてもいいっていうことなんて絶対にないんだからねっ!」
彼女の全力のビンタを受けた米斗は、まだ何も変わらなかった。
「……決めて欲しいんだ。決めてくれないと、俺は決心ができないんだ!」
甘ったれている・・・。
そう思った瑞穂に、再び米斗に対する怒りが爆発した。
「あんたの家系がそういうものであっても、他人によって結果を変えてはいけない選択だってあるのよ!」
そう言うと、今度は顔面にパンチが飛んだ。
しかし、パンチを受けても、米斗はまだ何も変わらなかった。
「使命を全うして欲しいのなら、そう言って欲しい。逆に、涼歌の所に戻って欲しいのなら、そう言って欲しいだけなんだ!」
それを聞いた瑞穂は、米斗に呆れていた。
「バカー! アホー! カスー!」
そうやって彼に罵声を浴びせた彼女は、勢いで適当な答えを返してしまった。
「なら、あんたなんか涼歌様のところに帰っちゃえば? ・・・これでいいんでしょ?」
そう言った瑞穂は、もう米斗の顔を見ていなかった。
「そうか・・・」
そう言うと、いつの間にか米斗は消えていた。
足音もせずに去って行ったのを疑問に感じた瑞穂は、後ろを振り返った。
しかし、そこには彼の姿は無かった。
「……行っちゃったか」
瑞穂は、正直清々しい気持ちであった。
だが、すぐに大切なことを思い出した。
そう、自分が言ったことがどんなに大きなことだったのかを、彼女は気づいてしまったのだ。
「・・・大変だ! わたしは、どうしてあんなバカなことをしちゃったんだ!」
瑞穂が米斗を探そうにも、クローレンでは行きそうなところに心当たりは全く無かった。
三条宮へ行ったのかもしれないが、理子を置いてクローレンを出るわけにもいかなかった。
自分がしたことをみすみす理子に話すわけにもいかなかった彼女であったが、仕方なく理子に説明することを決めた。
理子がクローレンで行きそうな所にも心当たりは無かったが、そこらじゅうをうろついていると、ばったりと出会うことができた。
「りこさま・・・!」
理子を見つけると、すぐに瑞穂は理子に駆け寄った。
突然自分のもとに走ってきた彼女に、理子は何かあったのかを悟った。
「どうしたのよ、一体?」
瑞穂と一緒にいた米斗がいなくなっているのに、理子はすぐに気づいた。
「あ、あの・・・」
「……言わなくても、大体把握できたわ」
そう言うと、理子は瑞穂の両肩を持って、こう続けた。
「米斗に、何かあったのかしら? それとも、あなたが走り回っているうちに米斗をどこかに置いてきぼりにしたのかしら?」
瑞穂は理子に、自分がしたことを正直に話した。
そして、共に探して欲しいと頼んだ。
それに対して、理子はこう言った。
「そういうことだったのね・・・。事情は把握できたけど、米斗はこのまま放っておきましょうか・・・」
・・・意外な答えだった。
米斗のことになったら、親身になってくれると思っていた理子だと思っていた。
瑞穂は、彼女の態度に疑問を感じた。
「どうして、米斗を放っておくのですか?」
瑞穂は、どうしても気になった。
そんな彼女の慌てている行動を見て、理子はこう言った。
「別に、探しに行ってもいいわよ? でも、米斗の決断には一切手出しをしないことが守れればね」
この言葉を聞いた瑞穂は、こう気がついたのだ。
――そうか。米斗は決めさせたかったんだけど、結局は米斗が決めていたことなんだ。
それに気がついた瑞穂は、米斗を探すのをやめた。
「・・・分かりました。りこさまのところに、米斗が戻ってくるといいですね?」
「え、ええ、まぁ・・・ね・・・」
理子は、瑞穂の不意な言葉に慌てていた。
そして、日が暮れようとしていた。
理子と瑞穂は、計画の拠点である大図書館へと戻ることにした。
クローレンの学士が休む公園の時計を見た理子は、こう言った。
「……もうこんな時間なのね。まだ全員揃っていないけど、それまでは一緒に学都を見て回りましょうか?」
「はい! わたしは、どこまでもりこさまのお供をいたしますよ!」
瑞穂はそう言うと、理子の横に並んだ。
そして、二人は足並みを揃えて大図書館へと戻って行ったのであった。
***
――数日後。
御子が全員揃い、米斗も戻ってきていた。
いつの間にか米斗が戻ってきていたのを、理子と瑞穂は敢えて気にしなかった。
今は、『新たな創世計画』がどんなものなのかを知りたい一心であった。
大図書館に集まった米斗と9人の御子。
2つの長机をくっつけた机の周りを囲んで、優花と科鈴から計画について話がされた。
「・・・お互いに街の騒動を落ち着かせるのが大変だったけど、これからもあたしたちの理想を実現させるためにもっと大変なことになることを覚悟しておいて欲しいわ」
そう言うと、優花は科鈴に紙の束を渡して、他の御子たちに配らせた。
配られた紙は小さな留め具1つで、5,6枚の紙を1セットにしてあった。
それを配られた御子たちは、それぞれで紙に目を通し始めていった。
そして、紙が配り終えられたのを確認した優花は、自身が資料を調べて書きまとめたであろうノートを手に持ち、配った紙の詳細を交えて説明をした。
彼女から話された内容は、普通の人には訳の分からないものであったが、分かりやすいことは順を追って説明することにしよう。
一応、誰にも分かったことが、一つだけあった。
それは、世界創世の音譜が2つあるということだ。
優花によれば、涼歌が謳ったマグナ・カルタは『蒼の御子の音譜』だという。
マグナ・カルタは、本来は蒼の御子にしか歌詞を完璧に理解することが出来ないのだが、蒼の御子ではない涼歌が謳ってしまったため詩が暴走してしまったのだと、優花は言った。
これが大陸創世の失敗の原因の一つであり、マグナ・カルタだけでは大陸が創世できない理由の一つでもあった。
そうなれば、マグナ・カルタは、謳った蒼の御子の野心で大陸を形作ることができたため、大陸がベアルトリスを攻撃したことに納得が出来る。
そして、それを抑えるために存在するもう一つの大陸創世の音譜が、『紅の御子の音譜』である。
紅の御子の音譜には、大陸に理(ことわり)を与え、大陸を完全な形にする効果がある。
蒼が大元で、紅が中身と考えれば、二つが必要だというのが分かると思う。
優花からの説明が終わると、理子が手を挙げた。
それを見た優花と科鈴はお互いに顔を見合わせて、彼女に意見を求めた。
理子はこう言った。
「この資料には、紅の御子の音譜がある場所が書かれていないわね。まだ、分からないのかしら?」
その問いに、すぐに優花は答えた。
「そのことについては、まだ言っていませんでしたね。資料に書かなかったのは、関連付けてすぐに言おうと思ったのですが、それを忘れてしまったからですね」
そう言うと、彼女は音譜がある場所を話した。
彼女の話によれば、場所は約束の丘と呼ばれる、神との対話が許される地である約束の地への道をこの世界に降臨させる場所の最奥にあるといった。
しかし、約束の丘の入り口は固く閉ざされており、それを解くために唄の岬で創世の次曲を謳い続けていなければならないという。
話を聞いた8人は創世の次曲についても優花と科鈴に訊ねた。
すると、優花は机の上に音譜を置いてこう言った。
「そこのところは、抜かりないわよ。これが、創世の次曲の音譜よ」
彼女がそう言った後、理子は席から立ち上がり、優花の前に置かれている創世の次曲を手に取った。
理子が創世の次曲を手に取ると、それが突然光りだした。
その現象に周りの人が驚いたのに対して、創世の次曲を手にしている彼女だけは微動だにもしなかった。
その状況がいまいち理解できなかった彼女は右の袖をめくって、隠れていた紅の御子の腕輪を見せながらこう言った。
「多分だけど、これと創世の次曲が共鳴しているんだと思うわ。魔大陸で楓葉から受け取ったものなんだけど、こういうことなのかしらね?」
理子の腕輪を見た楓葉は、ハッとした。
「ああ、それなんですか・・・。あはは・・・」
こんな大切なことを忘れたままにしておいた彼女は、紀実のお叱りを受けることになった。
「楓葉。それって、大切なことよね?」
「すみません。あの時は、ただ渡してくれと言われていただけでしたので・・・」
そういった中、他の人たちも、徐々にどういうことかを納得していった。
腕輪と創世の次曲が共鳴した現象を、優花はこう推測した。
「そうね・・・。理子様には、潜在能力として紅の御子の力があったのかもしれないわね」
「・・・となれば、唄の岬へ行く理子様に同行するグループと、約束の丘に行って紅の御子の音譜を探すグループの2班が必要です」
そう言って、科鈴は全員にグループ分けを求めた。
結果、唄の岬へ行く理子様に同行するグループを理子班、約束の丘に行って紅の御子の音譜を探すグループを紀実班ということになった。
理子に同伴するのは瑞穂、紀実に同伴するのは楓葉だというのは決まっていた。
分かれ方に苦労していたのは、朱禰と瑠梨の2人であった。
「あの、わたしたちはどうしましょうか? 当然、わたしは朱禰様についていきますが・・・」
瑠梨がそう言ったが、朱禰は意外なことを言い出した。
「わざわざ、あたしについていく必要はないわ。あなたが必要だと思った方に行けばいいわよ」
それは、今までの彼女からでは出てくる言葉ではなかった。
彼女の発言に驚いた瑠梨は、自分がどうすればいいのかが分からなくなった。
「で、でも、それでは・・・」
「そうねぇ・・・、さすがに放任が過ぎたわね」
そう言うと朱禰は、瑠梨の遠く後ろにいた理子を指差した。
瑠梨は、朱禰が指差した先を見た。
「・・・はい。それが、朱禰様の命であるのならば!」
彼女はそう言うと、すぐに理子の元へと向かった。
それを見届けた朱禰は、ホッと一息を入れてこう言った。
「さてと、あたしも頑張りますか。この状況、あたしもサボっていられないしね」
そう言って、彼女は瑠梨とは逆の方向へと進んでいって、紀実の元へと向かっていった。
そして、全員は各々で今後のことについて話し合いを始めた。
***
米斗が大図書館を後にしようとすると、理子に呼び止められた。
「理子様・・・」
呼び止められた彼はそう言って、理子と対面した。
そして、彼女はこう言った。
「わたしと共に、唄の岬に行ってもらえるかしら?」
それは、使命なのか。それとも、誘いなのか。
彼は迷うことなく、前者を選ぶだろう。
「……」
しかし、彼は黙り込んでいた。
「どうしたの? そんなに難しいことは言っていないはずよ?」
「そうですよね・・・」
米斗の返答に、理子は首を傾げた。
確かに、考えることでもないだろう。
すると、彼からこう返された。
「・・・その問いに、俺はどうしたらいいのでしょうか?」
そう言った彼に、理子は驚いた。
「本当に、一体どうしたのよ? 調子が悪いのなら、保健室で休ませてもらうように言いましょうか?」
もちろん、米斗は病気ではなかった。
「いえ、俺はいたって普通ですよ」
「それならいいのだけどね・・・。昔のあなたなら、こういうのは即決していたのに・・・って思っていただけだから・・・」
米斗を同行させるのをやめよう・・・。
そう思った理子は、彼に断りを入れようとした。
すると、自身に罪悪感を感じた彼から、共に唄の岬に行くと言ってきた。
しかし、彼女はそれを素直に受け入れなかった。
その理由を、彼女はため息を吐いてこう言った。
「……どうしたいかは、あなたが決めていいのよ? でも、今のあなたの言葉からでは、あなたの意思が感じられないわね」
「……」
米斗は、再び黙ってしまった。
意思? そんなもの、自分のどこにあるというんだ・・・?
そう彼が考えている間に、理子はその場から去ることにした。
そして、去り際に、彼女は一旦足を止めてこう言った。
「……もう一度、言うわね。わたしは、難しいことは一度も言っていないからね」
そう言うと、彼女は再び歩き出して、米斗の元から去っていった。
「(理子様から呼び止めておいて、勝手に去っていくなんて・・・)」
米斗はひとまず、理子が言ったことを記憶の片隅に寄せておくことにした。
自身の行くべき道を迷っているうちに、彼の元に再び誰かがやってきた。
「米斗、ちょっと手伝って欲しいことがある」
「・・・?」
相手は、科鈴一人だけだった。
すると、彼女は突然米斗の右手を掴んできた。
彼女は彼の手を引っ張って、こう言った。
「優花があなたに用事があるから、ついてきてもらうわ」
「お、おい、待てよ・・・!」
米斗は手を解こうとしたが、科鈴の力に負けていた。
「(そんな……)」
どうすることもできなくなった彼は、そのまま大図書館の奥へと連れて行かれた。
***
大図書館の奥へと連れていかれると、そこには優花の他に涼歌がいた。
米斗の心境は、涼歌がいたことにも驚きであったが、一体何をさせられるのかが分からない憤りもあった。
「・・・何をさせるんだ? いや、そういえば、俺と涼歌は……」
そう、今回の作戦には、米斗と涼歌はどちらのグループにも入っていないことになっていたのだ。
彼は、グループ分けが行われた当初はグループ分けについて何の疑問も思っていなかった。
そして、ようやく自身と涼歌がグループ分けで何も言われなかったのかが分かるのであった。
まず、優花がこう言った。
「涼歌から聞いたわ。あなたたちって、相当古い代物を持っているのね?」
「え? うーん・・・?」
『相当古い代物』というのが何なのか分からなかった米斗は、首を傾げた。
そんな彼に対して、優花は頑なになった。
「持っていないはずがないわよ? ほら、涼歌も今持っているわよ」
そう彼女に言われた米斗は、涼歌にモノを問うた。
すると、涼歌は『相当古い代物』であるトランシーバーを彼に見せた。
それを見た彼は服を探って、トランシーバーを取り出した。
「これのことだったのか・・・」
あの時からずっと持っていたのだが、持ち歩いて生活をしていても、米斗は不思議と違和感を感じていなかった。
「・・・これが、どうしたというのですか?」
そう米斗が優花に訊くと、彼女は涼歌にもこう言った。
「ちょっとだけでいいから、貸してくれないかな? 10分くらいあれば、二人に返せると思うから」
「は、はい?」
「・・・えっと、別に構いませんけど・・・」
優花が貸して欲しいと頼んできた理由がよく分からない米斗と涼歌であったが、別に断る理由もなかったため、二人はトランシーバーを優花に差し出した。
トランシーバーを二人から受け取った優花は、颯爽と何処かへと行ってしまった。
そんな彼女を気にすることなく、米斗と涼歌と科鈴の3人は、予定の10分を特に何もすることなく過ぎるのを待っていたのであった。
***
――10分後。
優花が2台のトランシーバーを抱えて、大図書館に戻ってきた。
そして、2台のトランシーバーはそれぞれの手元へ返された。
返されたトランシーバーは、見た目は何ともないが、何かされたのかが気になるところである。
米斗は、それについて優花に訊いてみた。
「一体、何をしたのですか?」
それを聞いた優花は、こう答えた。
「ん? Dフォンの原型になっているものだというから、構造を知りたかっただけよ」
それに加えて、彼女は、構造を知るために1台を少し分解して調べた、と言った。
分解をしたが、元に戻したからちゃんと動くはずだ、とも言った。
正常に動くのならまだしも、トランシーバーの構造を知ってどうするんだというのも、米斗の本心であった。
「構造を知ったところで、何か役に立ったのですか?」
米斗がそう言うと、優花は嬉しそうにこう言った。
「もちろんよ! あたしが無意義なことをすると思っているわけ?」
そう言うと、彼女は長机に一枚の横長の紙を広げた。
そして、彼女は、淡々と紙に書かれていることを説明していった。
その説明を、米斗と涼歌は訳も分からずに聞いていたが、科鈴には興味がある内容であった。
「こんなにも、わたしたちが日常で使っているものが奥深かったなんて、なんだか優花にはますます負けられないわね」
優花の説明に科鈴が目を輝かせるのは、今までなかったことであった。
今までは、お互いに競っていたからである。
「何よ? 科鈴だって、これくらいのことはあたしよりダメだけど、簡単にできるわよ?」
「な・・・っ、そう言うのなら、わたしだって負けません!」
「ふふっ、科鈴があたしより上を行くことはないんだけど、せいぜいあたしを呻らせられる研究をすることね?」
「ええ、いいわよ。でも、それは今回の件が終わってからにしましょう」
「ええ。それでいいわよ!」
優花と科鈴の対抗に取り残された米斗と涼歌。
二人はどうすることもなく、ただ優花と科鈴を見守っていたのであった。
そして、本題に戻ると、優花からこう話が切り出された。
「……トランシーバーのことなんだけど、さっきも説明した通り、Dフォンにはないものがあるのよ」
Dフォンにはないものについて米斗と涼歌に尋ねた優花。
二人には、それが何なのかが全く分からなかった。
話についていけなかった以上、当然のことであった。
そこで、科鈴がトランシーバーの構造図を見るように、二人に勧めた。
そして、彼女は二人に、Dフォンの構造について書かれている本を長机に置いた。
その後、彼女はこう言った。
「・・・おそらく、素人が読んだって分からないでしょう。でも、日常品のことは少しでも知っておかないとダメですよ?」
そう言って、彼女は二人を見守った。
構造図と本を見るように言われた米斗と涼歌は、トランシーバーとDフォンの構造をできるだけ知ろうと努力した。
そして、一つの答えに至った。
――暗号化電波通信。
それは、トランシーバーの特有の機能で、特定のトランシーバーAとそれと通信するトランシーバーBが、それぞれの電波IDという特定のトランシーバー間でしか通信をできなくする電波を持たせて、それを利用して通信するというものである。
電波IDがあれば、盗聴の心配もなく、他のトランシーバーにも送受信されないというメリットがある。
だが、これがあると、トランシーバー間の距離が離れれば離れるほど通信しているトランシーバーの電波IDを持つトランシーバーを探す(=トランシーバーが受信する)のに時間がかかるというデメリットもある。
このデメリットがあるため、トランシーバーが通信できる距離に制限ができてしまうのである。
涼歌が暗号化電波通信のことを言うと、優花から拍手を送られた。
「正解よ。時間がかかったのはしょうがないけど、ものが理解できていればOKよ」
優花はそう言うと、涼歌にもう一度トランシーバーを貸してくれないかと頼んだ。
涼歌は、優花に再びトランシーバーを渡した。
優花はトランシーバーを受け取り、こう言った。
「今回の作戦には、二箇所がそれぞれ同時に行うことが重要になるわ」
そう言うと、彼女はトランシーバーを起動させて、米斗が持っているトランシーバーとの通信を始めた。
「聞こえる? 聞こえるよね?」
今米斗がいるところは、優花から2mほど離れた場所である。
普通にトランシーバーを使わなくてもいい距離にいるのだが、米斗は敢えて彼女が願っていることに答える形を取ることにした。
「聞こえますよ。距離が近すぎるせいか、スピーカーがよく響きます」
スピーカーがよく響くのは、『ハウリング』という現象のことである。
ハウリングとは、音声の入力装置と出力装置が近い位置にあることで起きる現象である。
通常は入力装置から出力装置へと音が渡るだけだが、この現象は通常の現象だけではなく、二者が近くにあることで出力装置からの音が入力装置に入ると音が何重にも聴こえてしまって、出力装置の音がブレてしまうのである。
なお、日常であるものでは、入力装置はマイク、出力装置はスピーカーとして考えると理解しやすいであろう。
また、この説明では理解しづらいのであれば、他を当たろう。
「声が大きすぎるから、あたしのトランシーバーにも声が入っただけよ」
「・・・分かりました。気をつけます」
こうして音の入りを確かめると、優花は米斗にもっと遠ざかるように要求した。
それに従い、彼は優花からさらに5m離れた。
これで、米斗と優花の距離はおよそ7mとなった。
2人の間には本棚がいくつかあった。
「電波強度のテストをするわ。そっちの状況をお願いね」
優花の声が、米斗のトランシーバーから聞こえてきた。
それを聞いた米斗は、優花にこう返した。
「今度は何ともありませんね。・・・これでいいのでしょうか?」
彼の応答に、すぐに優花の返答が返ってきた。
「OKよ。戻ってきなさい」
それを聞いた米斗は、すぐに優花のいるところへと戻った。
――これで、トランシーバーの通信テストは終わったのだ。
米斗が戻ってくると、優花は自分が持っていたトランシーバーを涼歌に返した。
そして、優花は米斗と涼歌にこう言った。
「最初にも言ったけど、あんたたちには理子様か紀実のどちらかのところにそれぞれ行ってもらうわよ。いいわね?」
その言葉に、二人は頷いた。
「理子班も紀実班も既に出発しているから、急いで合流してちょうだいね」
そう言ったきり、優花は米斗と涼歌に後を任せた。
とりあえず、二人は大図書館を後にした。
***
そして、クローレンの東門の手前でどちらの班につくかを話し合った。
「どうしましょうか? わたしは、どちらでも問題ありませんよ」
涼歌がそう言うと、更にこう気を利かせた。
「・・・わたしのことは、ひとまず忘れてください。あなたは、あなたの使命を果たしてくださればいいのですよ?」
彼女の言葉に、米斗は何かを動かされたような感覚を感じた。
「涼歌……様……」
「……?」
米斗は一瞬涼歌の顔を見たが、すぐに彼女の顔から目を逸らした。
「どうしたのですか、米斗さん?」
「いえ、何も・・・」
「それなら、早く理子様と紀実さんに合流しないと・・・!」
「そ、そうですね・・・」
米斗は、何か気がかりがあるような素振りを見せていたが、自らそれを振り払うようにもしていた。
涼歌は彼のその不穏な振りに気づいていたが、敢えてそれを気に掛けようとはしなかった。
そして、話し合いの結果、米斗は理子班に、涼歌は紀実班に、共に合流することになった。
***
理子、瑞穂、瑠梨の3人は、唄の岬に着いた。
「・・・またここに来ることがあるなんて、正直思わなかったわ」
理子は、岬の入り口の前で一度唄の岬に来た時のことを思い出していた。
前は、理子以外に紀実や米斗、そして涼歌の4人で、大陸創世の音譜を探しにきたのであった。
ただ、今回はその時のことを知る人が理子以外にいなかったためか、瑞穂と瑠梨には理解できないものがあった。
「りこさま。今は時間がないのですし、急いで唄の間に行きませんか?」
瑞穂が感慨に耽っていた理子にそう言うと、瑠梨もそれに便乗した。
「そうですよ、理子様。ここであったことは、歩きながらでもいいので、聞かせていただけませんか?」
二人の言ったことに押されて、理子は仕方なく先へと進むことにした。
「もう・・・、仕方がないわね。わたしたちが先に唄の間に着いても、紀実達の方では何の問題もないわね」
そう言って、理子達が先へ進もうとすると、彼女らの後ろから誰かがやってきた。
「待ってください、理子様!」
ようやく、米斗が理子班に合流できた。
「米斗!」
「米斗さんじゃないですか!」
瑞穂と瑠梨が同時にそう言って、米斗の元へと駆け寄った。
そして、瑞穂は米斗にここへやってきた理由を尋ねた。
米斗は、その問いにこう答えた。
「・・・使命を果たすためです。今の俺は、与えられた使命を全うすることのみを考えることにしました」
そう言った彼に、理子は彼に近寄ってこう言った。
「そう・・・。それなら、ここにやってきた以上は、わたしだけを見ていなさいよね?」
そう言うと、彼女は米斗に握手を求めた。
それに応じて、彼は彼女の手を握って、こう言った。
「はい。分かりました!」
理子と握手を交わした米斗の目は、生き生きしているようにも見えた。
彼の目を見た理子は、ニコッと笑みを浮かべてみせて、先へと進んでいった。
その後に、他の3人も続いた。
***
唄の岬を奥へと進んでいき、唄の間の前にたどり着いた。
今回も理子が念のためにクリエイターを持ち歩いていたが、封印は解かれたままになっていた。
「・・・どうやら、中に入れるようですね」
瑠梨が用心のために先に入ってみたが、唄の間には何もないことが確認できた。
瑠梨の後に理子達が続き、唄の間の祭壇へと理子を無事に送り届けることができた。
「ありがとう、3人共!」
そう言って、理子は早速創世の次曲の音譜を開放しようとした。
しかし、米斗はそれを止めて、こう言った。
「待ってください。詩の詠唱には相当な体力を使うはずですから、紀実様達の動向を窺がってからの方がいいと思います」
米斗には、紀実班との合流しているだろうと思われる涼歌との連絡手段がある。
それを使えば、創世の次曲の詠唱と紅の御子の音譜の捜索が同時に行えるようにできるのである。
彼に何かあると察した理子は、彼にどうするのかを訊いた。
「・・・何か、あるのね? それは、あなたがここに来た理由なのでしょう?」
米斗は頷いた。
そして、トランシーバーを取り出して、スイッチを入れた。
「涼歌様、聞こえますか? 俺です、米斗です!」
その声に、涼歌は応答した。
***
米斗の声が、涼歌の持つトランシーバーから聞こえてきた。
彼女は、その声に答えた。
「ええ、聞こえていますよ。どうかしたのですか?」
「あ、いえ、特に大したことでは・・・」
そう言って、米斗は涼歌に理子が紀実と話がしたいと伝えた。
涼歌は「分かった」と言って、列の先頭を歩いている紀実を止めてトランシーバーを渡した。
紀実は彼女からトランシーバーを受け取り、相手の反応を窺った。
――そして、すぐに理子の声がトランシーバーから聞こえてきた。
「・・・えっと、聞こえているわよね? そっちの現状はどうかしら?」
紀実はその場で涼歌からサッとトランシーバーの使い方を教わり、すぐに理子のに返答した。
「ええ、大丈夫よ。今ちょうど、約束の丘への扉の前に着いたところよ」
「あら、そうなの? こっちは唄の間の前よ。今から創世の次曲を開放するわね」
「分かったわ。それなら、すぐに始めてよ」
「ええ。それじゃ、始めるわね・・・」
そう言って、理子からトランシーバーの通信を切られた。
通信が切られたのが何となく分かった紀実は、トランシーバーを涼歌に返した。
***
トランシーバーでの通信を終えた理子は、米斗にトランシーバーを返した。
そして、彼女は唄の間にある劇場の舞台のような台の上に立ち、創世の次曲の音譜を開放した。
音譜は創世の次曲を紡いでいき、紡がれた詩は理子へと取り込まれていった。
「……よし、これでいいわね」
理子は創世の次曲を覚えると、すぐに頭の中を流れている詩を謳い始めた。
――唄は情熱深くて、心を弾ませるほどの強いものを感じさせた。
そして、詩は離れたところにある約束の丘の扉を開いた。
扉が開いたのを確認した紀実班は、約束の丘へと向かったのであった・・・。